ここぱふ ~shalom~

~穏やかな希望あふれる未来へ〜

いまここでこれまでとこれからを見つめ 未来へのやさしい一歩を – Let’s think about Past and Future, and let’s take concrete heartful action.-

登戸研究所


学生時代毎日過ごしたキャンパスで
都市伝説のように? 
ここに 軍の研究所があったらしぃ。
だから 農学部のほうでは動物実験がされていて
坂を上ってたどりついたところの神社の鳥居は黒くて
犠牲となった動物たちが祀られているらしい。

そんな話はたしかにあった。
でも それ以上でもなく それ以下でもなかった。

ふぅぅぅん。。。。

そんな感じ。

でも 実は違ったのかも?と思えたのが
名古屋に来て たまたま知り合えた 大好きな女性の
さらに大好きなお姉さんのような女性のお話から。

お父様は中国に出征されていて
そんなこんなで か? 731部隊、登戸 という言葉を
彼女の周りから耳にすることがあったから。
・・・登戸かぁ。。。
大学から数キロ離れた私の住んでたところは「登戸」の住所だったなぁ。。。。
程度。
どこだったんだろぅ。。。とは思っても
「登戸研究所」が実はそのキャンパスとは 全く思いもしなかった。

ずっと 今でも卒論でかかわったテーマが気になり続けていつつも
なかなか チャンスがなく・・・
卒業以来3、4回しか大学に足を踏み入れることはなかったのだけれど
指導教官が退官されるので・・・これが最後かと最終講義を聴きに伺った。
2019年春。

ホームページを見て
あぁ??? 平和教育登戸研究所資料館 なんていぅのがあるんだ。。。
行ってみよぅかな。。。と
もう一人の先生のお話は伺わずに
立ち寄ってみた。
(自分たちのゼミは、その後の先生の海外での研究のため
 2年間学生が居なかったから・・・
 わたしたちの代は 幽霊のように存在感がない(苦笑)多分。)

・・・・唖然とした。
そう狭くないキャンパスの 農学部だけの話と思っていた。
中央の図書館から向こうには ほとんど行く用事もなく
図書館向こうの 農学部OBの植村直己さんの碑があるのを知ったのも 
東北の震災の後に山に登り始めたあと・・・
というより、山に登れなくなってから(苦笑)

資料館は 合気道部の新歓トレーニングで何度も走った裏門の脇にあった建物。
???え???おやまの上の キャンパス全体????
え?????????????

今も言葉がないくらい。。。。

ついさっき・・・
心の中では 今でも身近なゼミの自分のエリアからの風景を 
最後と思い 撮ってきたけれど・・・
その景色の中(実は中央付近・・・)に慰霊碑があったり
どちらかというと・・・
農学部は 風船爆弾とやらをつくる研究で?


・・・私のいたあたりのほうが 毒薬とか…薬品関連の建物(紫)が
多かったみたい(泣)。。。呆然。。。

風船爆弾の原料とつくりかた。
=和紙とこんにゃく。
触れて どんな素材か感じることができる。
女学生たちがその制作にあたる。
のちに名古屋で見た写真では椙山の女学生たちが。
私が部活やゼミで居たのは
右上の紫のあたり。
薬品関連の研究施設が
あったらしい。。
下に 人の模型も。
気球に牛疫のウィルスを
ぶら下げている。。。

風船爆弾・・・
和紙やらこんにゃくやらを作って(当時化学繊維はほぼ存在しない。
化学繊維や石油製品の開発は第二次世界大戦後。)
巨大な風船をつくり、
家畜にダメージを与える生物兵器を入れて
偏西風に載せて アメリカにダメージを与えようと考えていた。
日本も 生物兵器をつくっていた。。。。ここで。
(731部隊がらみ というだけで、 命に関わる毒をつくっていたのかな・・
 とは 思っていたけれど。。。。)



卒業式・・・学生最後の日
坂を下りる前に 4年間一番一緒に過ごした彼女と写真を撮った場所には
背の高い樹があった。
そのヒマラヤスギは 当時からあったものらしい。。。。

登戸研究所は 戦争終盤 
長野県の駒ケ根や伊那のほうに 拠点を移していたとのこと。
駒ケ根はよりによって その彼女の実家のあるところ。
彼女も 大学がそんなところだったことも、
駒ケ根に 研究所が疎開して来ていたことも 全く知らなかった。

ここでの研究や この研究所の存在は 
元々軍のトップシークレットだったらしい と
その後のズームでの講演会で聴いた。
皇室と軍のごく一部しか知らず、記録にも記されなかった研究所であり
私たちが居た1990年ごろに 
地元の高校生の働きかけで 重い口を開け始めたかたたちから
だんだん 聴き取ったり 資料をお預かりして出来上がっていったんだ。。。。
あまりにも固く口留めされていたから 
資料館が出来上がってから よぅやく・・・ご訪問されて
あぁ。。。。 もぅ 口に出してもいぃんだ。。。と
50年以上を経て ようやく 肩の荷を下ろせる方々が居られるんだ。。。と
初めて知ったかたたちも居られるとのこと。
どうやら 日本軍から&そののち 米軍からも
口外を許されなかったらしい。。。

そして・・・
「あらそいの記録」である「歴史」、特に近現代史が辛くて仕方なかった自分は
(被災の話はむさぼり読んだけれど、上の思惑が苦しくて読めなかった)
展示してある「帝銀事件」という言葉には深入りできずにいた。

この記事を上げていいものかどうか
ずっと 思い悩んでいたのだけれど
(著作権とかもあるし・・・写真も撮ってはいけなかったかもだし・・・
 と思ったけれど 他のブログから OKらしいことを確認。
 とってもたくさん 貴重な資料があるので
 他の方のホームページや 資料館のページ・動画等々も
 機会があったら ぜひ ご覧ください。)
今さっき、オンデマンドで この年末の
NHK「未解決事件 帝銀事件74年目の”真相”」の一部を垣間見て
あぁ。。。。。。四の五の言っていないで より誰かに気づいてもらえるように書こう。と 思った。。。

要は
戦後直後は 日本側から軍の機密を漏らすなということで 口止めを。
その後は 
東西が分かれ始めたころ 米ロが欲しがった
(中国ロシアでの)人体実験の「データ」と開発データと引き換えに
語ることが許されなかった。
研究所関連者すべて人のの罪を問わず 
登戸研究所の存在自体や研究内容も外部に広めないという
約束のため。。。

ここで創られたものが事件に使われただろうに
日本とGHQが双方に事実を隠した事件・・・だった。
(GHQのおかげで 今の日本のくらしがある という部分もあるけど。
 上層階級 以外の多くの人(=わたしたち)にとっては
 人としての権利、女性の生きる権利等々が
 GHQのスタッフとして 日本に帰ってきていた女性
 ベアテ・シロタ・ゴードンさんの奔走などによって
 だいぶ 憲法に書き込まれているのだけれど。。。。
 彼女の死を待っていたかのように
 憲法改正の動きが さらに強まっていった。。。。
 9条はもちろん、23条も 大きなターゲットかと。
 基本的人権。。。。。。
 ただでさえ 女性の立ち位置低すぎる日本なのに…
 ど~なっていくことゃら。。。。(嘆))

登戸の件に限らず
東西が分かれ始めたことで

戦犯としてとらえられた人たちが
再度 自由を得て陰でアメリカのCIA等の下で動き
      (巣鴨プリズンの 「逆コース」・・・)
原子力も 政治もメディアも経済も・・・・
関係ないと思っている私たちのくらしのひとつひとつが
すっかり つくりあげられていたのだな。。。。というのを

この6年ほどで 急激に巻き戻して 感じている昨今。。。。

もはや タモさんが 新しい戦前・・・と 口にされているくらい
そんな状況だから・・・・ 
もぅ こんなこと話していると 
ずっと 気にかかっているように 消えるかもしれないけれど・・・
(記事が じゃぁ なくてね。。。。)

でも まだ 今なら間に合うかもしれないから
書いてしまう。

永きにわたり 人が追い求めていた 富とか名声とか?
そぅいうものを幸せの指標として
今まで通りにすすんで・・・ は 
もぅ・・・ 人の世は 無理だと思う。

難しいけれど・・・・
もっと(もちろん共産主義者という意味ではなくてね)
苦楽をわかちあって 人として 生き物として
もっと 素に 心から 互いのいのちを尊重しあいながら
(政治とか 上澄みだけでなく
 一般人の嗜好につながるようなメディアも 経済も
 底辺の暴力団とか やくざ映画とか 賭け事とかだって・・・
 結局 巣鴨プリズンが だいぶ暗躍しているようだし・・・
 もっと言えば 戦いが起これば
 武器商人が もぅかる・・・ だけだしね。。。

 たしか・・・
 今となっては5、6年前のタクシーのお客さんの話では
 (竹島云々が盛んに言われるようになるより前のころ?)
 自衛隊のかなりの上層部に居るご自慢の甥っ子さんが
 もぅ4年?アメリカに海外赴任していて
 何やら・・・1つ*兆?とかするものを いくつか買うのに
 選定に行っている。 もうすぐ帰ってくるから遊びに行ってきた

 と 話しておられたし

 ロケットを運搬する会社のおじさんは
 もぅ6,7年前でもすっかり『「軍の」衛星』とか
 そぅいう表現でおしゃべりしていたし。。。。。
 あぁ。。。 関係者の間では もぅすっかり「軍」なんだな。。。って。。。
 
 昨今の いろいろな報道も どこまで報道の通りなのかな、と思う。
 ウクライナとロシアの戦いは現実。
 ・・・私には見えないけれど・・・ 
  北朝鮮もほんとにうってるのかもだけど、
 

 先日垣間見たリーダーシップの理論でも
 75パーセントに危機感を感じさせることが
 プロジェクトを動かす大切な要素であり、
 5分で伝わるビジョンを描くことも 大切 
 そして その変革のためのビジョンを周知徹底し
 メンバーの自発を促す 等々 と あった。。。。

 ・・・こぉいう方法にも 合致している気がするよなぁ。。。
  昨今。。。。とも。
 ・・・ん・・・このところの色々は
 8つのプロセス 全部踏んでるんだ。。。。。。

 この「リーダーシップ」の話は 
 核のゴミやら 福島のことを伝えるために 知ろうとした。
 「短期的成果を実現する」という部分が
 向かないんだよなぁ。。。と思っていたけれど
 戦争を引き起こすには
 とっても 向いているプロセスなんだな。。。と。。。。

 まぁ、この辺を考えながら
 力づくな流れを 受け流せる方法を 考えてみよぅか。。。
 とも思えたけれど。。。

 話はさらにそれるけれど

 今回の登戸研究所のことで 
 過去を知ることは 大切・・・と 改めて思うけれど
 特にこの15年位?
 もともと都市部で広まっていた市民の草の根運動を逆手にとって
 田舎と若い世代に向けて 右傾化に必要な
 「草の根」の動きがとられているらしい。。。。

 
 ・・・だから 母にも息子にも煙たがられるんだ。。。と
 理解できた。
 彼ら彼女らが崇拝する考え方以外を
 知ること 知ろうとすること 語ること すべてが「左」であり、
 本で見聞きする「レッドパージ」に近くなってきているのかな。。。。と感じる。

 左でも 赤でもない ょ??????

 いのちを大切に想うひとりのにんげんとして、

 ・・・今のままでは どこか違っていませんか??? と 思うのだけれど。。。

 いろんな制度が戦後(もしかしたら明治維新後?)変えられてきた中
 ・・・用意されてきた中・・・
 「介護保険」も 10年前特養で仕事をする中で・・・
 戦争を経験し、色々深く考えてきた人たちが
 狭い(職員は目の前の作業でめいっぱいの)コミュニティー・部屋に押し込められて
 国会中継を見て 苛立ちを覚えても
 ニュースを見て 警鐘を鳴らしたくても
 せめて 家族に伝えたくても・・・

 その伝える術を奪える制度なのだな・・・と 痛切に感じた。
 女性を 家庭内の無償労働から解放するようにみせて
 男性も女性も低賃金の生き方に押し込め
 時間もお金も気持ちも余裕なく 人と人とがつながり理解しあう場をなくす。
 特に (核家族化も含めて)肉親に色々な歴史が語られる場を奪ってる。

 タクシーの中でも 
 核家族化し 皆さん足腰弱って ご近所とも 
 ゴミ出しに出て 半年ぶりに顔を合わせられたことを喜び合う位になると…
 色々な想いを抱えたまま 胸を押し付けられるような気持ちで
 抱え込むしかない状態なんだな。。。。。と 痛切に思った。

 竹島云々とかが言われてきたり
 集団的自衛権とか 秘密保護法が言われてきたころ・・・

 名古屋中心部にたくさんの土地を持っていたお宅のお嬢さんだった彼女も。
 「テレビで色々いうけれど・・・
  今の人たちの気持ちが聞いてみたい。。。。」
 と 切実におっしゃっていた。
 いくら 一族が土地やら財産やら どれだけ何を奪われたといっても 
 いのちがあることは 何にも代えがたいことなのだから・・・・と。

「中国で少年兵として終戦を迎え
 列車の中で自害しないように と 手りゅう弾を回収されて
 帰れると思ってついた先は シベリアだったんだ。。。。
 今の人たちは どぅ思っているんだろう・・・」と
 週3回の透析の帰りに ぽつんとおっしゃっていたあのかたは・・・
 もぅ・・・空から見守るしかないんだろう。。。

 少年・少女として 機体の整備にかかわられた人たちも
 ・・・自分が今洗っているこのエンジンで 本当に敵が倒せるんだろぅか。。
 (倒すどころか 戦場に届くんだろぅか???)
 と 思っておられた と それぞれに話す方も 数名出会った。

 そして 空襲をうけた身として
 (無情な敵のお話ばかりではなく)
 明らかに 自分は または 自分のいた集落は
 攻撃しないでくれた・・・・ という 話も。
 (「敵」も 人の子。。。。
  ・食料調達に知人を頼って列車に乗る中の空襲で
   銃を持った大人が逃げ出したから 代わりに
   子どもながらも逃げていった人の銃を向けたら・・・
    飛行機の中の人が 余裕の笑顔で
   にやっと笑って 飛び去ってくれた・・・
    と話す お年寄りの施設に入っていたおじいさん。
  ・名古屋に空襲でやられたところも多かったけれど・・・
   うちの集落はさぁ。。。。
   明らかに物置小屋だろ・・っていう1か所を除いて
   一つも爆撃されなかったんだょね。。。という
    今でも田畑が残る地域のおじいさん。)

 「人」と「人」を感じやすかった当時。。。
 人の乗った飛行機が飛んで まだ50年足らずだった当時。。。。

 核も開発され、空を行きかうものが変わり
 (B29もあったけど・・・ 和紙とこんにゃくの風船爆弾!の時代だょ??
  できたばかりの原子爆弾の威力は
  1つ1つが すでに脅しに?使う戦術核で数倍、戦略核は数十倍。。。)
 いろいろなものが ロボットやコンピューターで済まされる現代で
 今の技術をもってして ウクライナで見せている戦争では終わるわけはなく
 ・・・あの程度で済む戦争で終わるわけはなく
 それは さらに力を持てというのではなく
 もはや 地上のいのちというのものを 壊滅的にしてしまうということに
 きづいていただけますよぅに。。。。。。

 ・・・その場でちゃんと見てこなかったのだけれど・・・
 名古屋の戦争にまつわる展示会同じ写真を見た。
 おそらく 前述の風船爆弾を作っている女の子たちは
 名古屋の椙山女学園の子たち。。。。。

 遠くの話では・・・ないのです。。。。。
 私がびっくりしたように
 今居る私たちの 目の前の景色の ずっと過去
 戦争に加担していたことも あるやもしれません。

 ・・・のちの世に なにをしでかしてくれたんだ・・・と思われないよぅ(苦笑)
 というか のちの世を 生きてくれる人たちが残れるよう・・・・

 もっと 心の満たし方を 
 ひとに 地球に いのちにやさしぃ 満たされかたを
 みんなで みつけだしていけますよぅに。。。。。